死別当時33歳の私享年70歳の父
ちょうど11年前、父親を亡くしました。孤独死でした。 幼少期の頃から、少しづつ家庭崩壊が始まり、物心がついた頃にはもう... 家庭をかえりみない父親、その愚痴ばかりの母親、そんな状況になり兄弟も、姉、兄と順に家を出て行き末っ子の自分も、高校に入学後、数週間でほぼ家出状態  自分が20歳の時に、親も離婚、完全に家庭は崩壊していました。 そんな家庭環境の為か、父親の死を聞いた時も、死顔を見た時も、悲しむ事も無く葬儀が始まるのを待っていました。 諸事情により、末っ子の自分が喪主を務めたのですが、父親の親族・同級生の方々が、死を悲しみ、涙する姿を見て...「オレこの人と真剣に向き合った事無い」そんな想いがよぎり、高校卒業後、父親の死までに数分しか顔を合わせていない自分に腹立たしさが込み上げて来ました。 父親と親子として接した記憶は殆ど無いのは事実ですが、「自分よりも、この人の方が後悔しているんじゃ無いのか」「成人し大人になった自分から、歩み寄れたのではないか」そんな想いから、悔しさと申し訳なさから、涙が止まらなくなりました.... 当時32歳の自分は離婚し、ちょうど独身生活を始めた時でした。 もし自分が死んだ時、どれだけの人が集まってくれるだろうか?涙を流してくれる人がいるのだろうか?  自分達兄弟にはけっしてお世辞にも良い父親では無かったのに、最期はたくさんの人達に惜しまれながら死んで行く姿に、羨ましさと、尊敬の気持ちを覚えました。  もし、戻れるなら、「もっと話しをしていれば」「あの時こうしていれば」その気持ちは、今も持ったままです。 失って初めて気付く親の大切さ、家族の尊さは、勿論人それぞれです。自分は成人し、精神的にも大人になってからの事で、悲しむことよりも、後悔を糧に二度と同じ想いはしたく無いと、思う様になりました。 父親の死をきっかけに、家族の在り方を考え、もう一度、家族が集える日が来ると信じ、今、出来る事は何かを考える様になりました。 「父親に向けての手紙」と言われても、ちゃんと向き合った事が無く伝えたい気持ちも整理が付かず、反省文の様になってしまいましたが、最後に「いつか必ず、兄弟3人であなたに会いに行きます」 この想いを約束事にして伝えられたらと思います。
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